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村上龍:『希望の国のエクソダス』(文藝春秋) [book]

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)

  • 作者: 村上 龍
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2002/05
  • メディア: 文庫

読書生活を始めて30年になりなんとしているが、村上龍の著作を読んだのはこれが初めて。自分でも吃驚した。これまでほとんど興味がなかったからだ。では、なぜ本書を手に取ったかというと、すでにお馴染みになったと思われる、登場人物の以下の言葉からだった。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

本作は単行本が2000年、文庫化されたのが2003年だからすでに一昔近く経っている。したがって、というのもなんだけど、ネタバレに近い内容紹介もあるので気になる向きは本エントリはすっ飛ばしていただきたい。

で、一昔前の近未来小説として読んでも出色のおもしろさは間違いないのでぜひとも読んでみていただきたいというのが結論だ。

さて本書は2000年から2007年にかけての日本が舞台。つまり、執筆された当時からみると近未来小説ということになりますな。もちろん未来予測小説ではないので、当たったの当たらないのを云々するのは不粋だ。

しかし序盤のアフガニスタンの描写(9.11はまだのころ!)や民主党の政権交代、長引く不況など著者の想像と合致している部分が少なくない。なにより、冒頭に紹介した科白にあるような「希望のない」時代の到来を予感していた知性には脱帽する。2000年の頃って、まだそんな切迫した感覚は持っていなかったもんね。

物語の大枠は、いわゆる"アンファン・テリブル"で古典的な枠組みと言っていいだろう。アフガニスタンに突如として現れた中学二年生の少年の登場を契機に、日本の中学二年生たちが数十万人規模の不登校するようになり...

そんな不登校児のネットワークの核となる少年たちと偶然に知り合ったフリーのライターである関口の一人称で物語は進む。 不登校児たちはそのゆるやかなネットワークをASNAROと称し、主としてwebを用い新規の事業を起業していく。このあたりの事業も2000年の当時ではまだそれほど隆盛していなかったのだから、先見性があると思う。

図らずも彼らとの接点となった関口は、文部省官僚と接触しASNAROのメンバーから要望のあったの国会への証人喚問を実現させる。その際に彼らの口からでたのが冒頭にあった科白だ。その後、ASNAROは事業を拡大、北海道のとある区域に移住を開始する。

物語の大筋をネタバレしてしまった。で、初の村上龍は思っていたよりエンタテインメント性にあふれていた。タグを国内エンタテインメントにしてしまったよ。

著者はあとがきで本作を"ファンタジー"と称していた。当方もアンファンテリブルから始まり、中盤の情報戦や中学生の群体のごとき無個性さ、終盤にいたってのユートピアづくりなど古き良きSFにあるエッセンスを盛り込んだものと読んだ。なので物語全体に既視感がないわけではない。だがおもしろく読んだのは、一つには語り手の旧世代である関口の(あまり多くは語られないが)変わり方だ。

終盤で彼は同棲相手と結婚し一女をもうける。旧世代の中でもアウトサイダーだった関口が希望のない国と断言された国で子供をもうけたこと。この意味は深いと思う。

ふと思いついたのは、この小説のタイトルが「希望のない国からのエクソダス」ではないこと。あるいは、この関口の子らのような世代が旧世代とASNAROを結びつける希望となり得るから本書のようなタイトルになったのかもしれない。思いつきで申し訳ないが。

ということで、2000年当時に想像された未来と現代を比較して楽しむもよし、SFとして読んでもいいのかもしれないし、経済小説としての一面もある。おもしろさに間違いない小説だ。繰り返しになるが未読の方には是非お奨めしたい。


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