三橋貴明:『マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~』(扶桑社) [book]
新聞を読まなくなってどのくらい経つだろう。もう5,6年か。読まない弊害があるのはもちろんわかっているのだが、読むことによる自分の利得と差引ゼロとはいえるかもしれない。ならば、費用発生を抑えたいと思うのは当然のことだ。結局、情報というのは向うからやってくるのを待つのではなく、自分で取りに行かなければならないと思っているのだし。
内容(「BOOK」データベースより)
捏造報道が繰り返されるのは、産業構造こそ問題だった!人気経済評論家が書き下ろす渾身のメディア論。
本書は新聞や放送局をレガシーメディアと位置づけている。一応説明しておくと、"レガシー"と言っても富士重工業の看板車ではない。PC関連ではレガシーシステムというと「時代遅れとなった古いシステム」という否定的な意味で使われていることから、本書でも「時代遅れの古いメディア」という感じで使用されている。
乱暴に要約してしまえば、
- 新聞社や放送局が大きな収益を上げてきたビジネスモデルはすでにクラッシュしかかっている(webへのシフトによる広告収入の減少など)。
- 偏向報道を指摘するユーザーへのスタンスは、自身の誤りを認めないものであり自浄作用に欠けている。
- 護送船団形式に守られた最後の業界であり、結論としては市場競争に向き合わなければいずれ業界自体が沈んでしまう。
というところか。要約しすぎではあるが。
確かに、個々の指摘や状況分析は頷けるものばかりだし読んでいて痛快ではある。明らかに重大な事件が、業界にとって不利なものであった場合ほとんど報道されないという事実なども、これだけwebによるコミュニケーションが発達しなければ浮き上がらなかった事実であると思う。
ただ、これらのレガシーメディアが今後、利権を返上し市場競争に揉まれることで自浄作用を持って行くかというと少し疑問に思ってしまう。というのは、昨日読了した『 そうだったのか!アメリカ 』でも米国のメディアに関して一章が割かれていたが、市場競争に晒された放送局が、会社の方針や視聴者への迎合でイラク戦争における愛国報道に加担する一面がみられるそうだ。
何が言いたいかというと、市場競争に晒されたら、それはそれでまた大衆に迎合するような報道しかしなくなってしまうのではないかと危惧してしまうということ。当方の敬愛する山本夏彦翁は「私は断言する。新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう」と書いている。
うーん。ここまで書いて読み返すと、まとまりのない文章だな。言いたいことはそれなりにあるのだが、差し障りのある記述になりそうなのでここらへんでやめておこう。とにもかくにも、本書はマスメディアの現状や課題、今後の方向性についてわかりやすく示唆したものとして出色。興味のある方は読んで損はないと思う。
コメント 0