矢作俊彦:『リンゴォ・キッドの休日』(角川書店) [book]
当方はこれまで本を捨てたり売ったりということをしてきたことがない。ご想像に違わず量も量なので、実家・祖母宅・自宅と3箇所に分散させている。
したがって、というか否応なく行方不明の本も多数存在する。本書のハヤカワ文庫版も祖母宅にあるとは思うのだが所在が不明。結局、読みたくなったときが読みどきなので今回は(も)購入してしまったのだった。
内容(「BOOK」データベースより)
横須賀の朝、高台の洋館で高級クラブに勤める女の死体が発見された。そして米軍基地内の桟橋沖に沈んだワーゲンからは男の死体が引き揚げられた。無関係に思える二人だが、同じ拳銃で射殺されていたことがわかり、非番だった神奈川県警捜査一課の二村永爾は、署長からの電話で捜査にかりだされることに。所轄と公安、そしてマスコミの目を欺きながら、二村は事件の真相を追うが…。二村永爾シリーズ第1弾。
著者の小説はほとんど所有しているが、実は完全に読了したのは『 真夜中へもう一歩 』 の一冊のみ。その『真夜中~』は光文社の単行本版で、肌が合ったのか4回程度は読み返している。なんど読んでもおもしろいのは、なんど読んでもストーリーの全体像を把握できないから。
著者の作品の良さはそのわかりにくさにあると思う。コミックの原作である『 気分はもう戦争 』なんて、もうなにがなんだかまったくわからないしね。
さて、本書は長目の中編小説二作で構成されているが、特に表題作については、この分量にも関わらずプロットの複雑さでわけがわからない。正直、誰が犯人なのか当方はいまだにわかっていない。
ここに著者の作品の独自性があると思う。つまり、「何を語るか」ではなく「どう語るか」そして主人公から世界は「どのように見えているか」を志向しているように思えるからだ。
当方は10代の頃から著者に注目していたのだけど、なるほど、そういうスタンスの小説を10代程度で消化できるわけがない。やはり、ある程度の年齢を経てから読むのが適当なんだろう。
そういう意味で、不惑を越してからの方が、しみじみと味わい深い小説のように思える。昔の横浜や横須賀のの風景に郷愁を覚える人にもお奨め。
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