吉田篤弘:『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(暮しの手帖社) [book]
小学生の頃に母が定期購読していたので、雑誌「暮しの手帖」を愛読していた。同誌は自社出版物以外の広告を一切廃している(今もそうなのだろうか)。普通の雑誌は、ご存知のように広告料で儲けるビジネスモデル。ではなぜ同誌は、といえば、家電製品のテストで歯に衣着せぬ論調を貫き通すためというのがその理由だったと推測している。
いまでも忘れられないのは、出始めのころの電子レンジについて「この温めるだけしか役立たない機械に○○万円出すのはばかげている(大意)」という記事があり、こりゃ他には書けない罠、と思ったものだ。
あれから30年以上経ち、家電製品は使い捨てが当たり前で頑丈なものを長く使うということをしなくなったし、そもそもメーカーもそれを許さない時代になった。初代編集長の花森安治がみたら烈火のごとく怒りそうな世の中になっている。
内容(「MARC」データベースより)
どんなときでも同じようにおいしかった。だから、何よりレシピに忠実につくることが大切なんです…。ある町に越してきた映画好きのオーリィ君と、彼にかかわる人たちとの日々の暮らしを描く短編集。
さて、本書は暮しの手帖に連載された連作短編を一冊にしたもの。著者は初めてみる名前だったが、クラフト・エヴィング商會の著者の一人なんですね。知らなかった。まあ、クラフト・エヴィング商會の著作も読んだことはないんだけど。
それはともかく、結論から申し述べるととてもおもしろい本だった。特に女性にお奨めして間違いないのでは、と思う。ストーリー自体がおもしろいのか、といわれるとそれだけではない、と言っておこう。文章や雰囲気に独特のリズムと透明感があるのが好もしい。舞台となる街はまるで日本ではないように思えるくらいだ。
また、著者の考えがある意味では全面に押し出されているところが興味深い。
昔の「時間」は今よりのんびり太っていて、それを「時間の節約」の名のもとに、ずいぶん細らせてしまったのが、今の「時間」のように思える。さまざまな利器が文字どおり時間を削り、いちおう何かを短縮したことになっているものの、あらためて考えてみると、削られたものは、のんびりとした「時間」そのものに違いない。
(48ページ)
このあたりの文章をどう思うかで好き嫌いはありそうだが、なるほど、「暮しの手帖」に連載されるくらいだから、同誌の価値観と通底するものがある。
日差しの暖かな土曜日の朝からじっくりと読み始めてみてはどうだろう。お昼には必ずサンドイッチとスープが飲みたくなると思う、そんなほんわかした小説だ。
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