高橋篤史:『粉飾の論理』(東洋経済新報社) [book]
うん、この本はおもしろい。
近年の代表的な粉飾決算の内幕に迫るドキュメンタリ。カネボウとメディア・リンクスの粉飾決算に至るまでの流れや、粉飾に関連した監査法人のその後を描いている。いずれも当方の野次馬根性を充足させてくれる内容がいっぱい。第一部にあたるカネボウに関する記述は、これまでの新聞記事等で見知った事実とはまた違った側面を描いている。それは金融機能としての商社の介在の弊害が挙げられる。バブル崩壊後に、水ぶくれした貸借対照表の改善を金融機関から迫られた商社が、その金融機能の引締めを迫ったことがカネボウ破綻の引金の一つになったことなどが語られる。
第二部にあたるのが新興IT企業であったメディア・リンクスのIPOから破綻に至るまでの経緯。売上高にゲタをはかせるための架空の循環取引の手口と、やがて資金繰りの逼迫により弱体化した同社への、乗っ取り屋をはじめとする有象無象の関与などが語られる。このあたりは『公認会計士vs特捜検察』でも同じような状況が語られている。新興の上場企業の経営者は相当に脇を締めてかからないと痛い目にあうようだ。
第三部として、カネボウに関与した監査法人の行く末などを描く。これらは『監査難民』と併せて読むとさらに興味深いです。
読み終わると、弱体化した企業に群がるハイエナのような連中は別として、その企業の当事者たちは企業の継続を第一義に粉飾決算に走っているように感じる(当然、自己の保身もあるだろうが)。以前に読んだ 『会社は頭から腐る』 に記述されていた言葉が思い起こされるのでした。
ほとんどの人間は土壇場では、各人自身の動機付けの構造と性格にしか正直 にしか行動できない(中略)。そこには善も悪もなく、言い換えればインセンティブ と性格の奴隷となる『弱さ』にこそ人間性の本質のひとつがある。性悪説でも 性善説でもない、『性弱説』に立って人間を見つめたときにはじめて多くの現象 が理解可能となってくる。 |
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