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『ミケランジェロの暗号』 [movie]

原題: Mein bester Feind
製作国: 2010年オーストリア映画
配給: クロックワークス
上映時間: 106分
キャスト: モーリッツ・ブライブトロイ、ゲオルク・フリードリヒ、ウルズラ・シュトラウス、マルト・ケラー、ウド・ザメル、ウーベ・ボーム、メラーブ・ニニッゼ、ライナー・ボック、カール・フィッシャー、クリストフ・ルーザー、セルゲ・ファルク
監督: ウォルフガング・ムルンバーガー

■■■

あらすじを読むと、ナチス占領下でのユダヤ人迫害がテーマの作品のようであり、それはそれでまちがいないのだけれど、じつはそんな枠組みを越えた魅力を持つ作品である。

で、困ったことにそのプロットを詳述すると、愉しさの何割かは減少してしまう類の映画でもある。したがって、まだお近くの劇場で公開しているようだったらだまされたと思って鑑賞してほしい。以上。


ストーリー(あらすじ)
第2次大戦下のオーストリア。ユダヤ人の画商一族カウフマン家は、所有していたミケランジェロの絵をナチスに奪われ、収容所に送られてしまう。ナチスは奪った絵をイタリアとの交渉材料にしようとするが、贋作であることが判明。本物を隠した一家の父はすでに収容所で死亡していた…。

とはいえ、少しくらいは所感を申し述べておかねばならないか。本作はナチス占領下のオーストリアが中心となる舞台や時代背景を描きながらなお、洒落たプロットと語り口を持っていることがユニークなところ。昨日鑑賞した『ミッション:インポッシブル~』と比べても、そのエンタテインメント性はよっぽど格上くぁwせdrftgyふじこlp

絶望的な状況下に追い込まれながら、主人公は持ち前の機転と度胸で困難を切り抜けていく。ゲーム理論の教科書になりそうな交渉のスタンスも見事。しかも、そこには変な力みはなく、あくまで洒脱なのだ。

墺映画なので、主人公を演じるモーリッツ・ブライブトロイは初見、と思っていたら『 ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア 』に出演していた! キアヌ・リーブスをさらに濃くしたような風貌は印象的。そして、先般のエントリでも紹介したマルト・ケラーが出演。還暦を越え容貌は『ブラックサンデー』の頃の比べるべくもないが、その存在感はさすが。

いや、ほんとに鑑賞した人とネタバレ談義したいくらい、鮮やかな切り口のデキのいい映画。この手のテーマや時代背景が苦手な人にもオススメできます。


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『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』 [movie]

原題: Mission: Impossible - Ghost Protocol
製作国: 2011年アメリカ映画
配給: パラマウント
キャスト: トム・クルーズ、ジェレミー・レナー、サイモン・ペッグ、ポーラ・パットン、ジョシュ・ホロウェイ、マイケル・ニクビスト、アニル・カプール
監督: ブラッド・バード


あらすじ
IMFエージェントのイーサン・ハントは、ロシアのクレムリンに潜入し、コバルトという男の情報を取り戻すというミッションに参加する。しかし、彼らの潜入中に何者がクレムリンを爆破してしまう。IMFの犯行とみなすロシアとの関係悪化を恐れ、米国は“ゴースト・プロトコル”を発動し、IMFの機能を停止させた。しかし、コバルトが核戦争の勃発を計画している事に気付いたイーサンは、チームの4人だけでコバルトを追うのだった…。

このシリーズは全作を鑑賞しているが、愉しめたのは第一作だけ。二作目以降はなんだかなあ、という感じだ。とはいえ、これまた乗りかかった船であり、予告編も鑑賞意欲をそそるものがあったため映画館に向かったのだった。

上映時間133分をだれることなく鑑賞させる手腕はさすが。ただね、だれないのは、全編がクライマックスとでも言うべき構成によるもので、プロットの緊密さからではない。基本的にはマクガフィンをめぐる逃走と追跡の直線的な物語だから、そのあたりに愉しさを求めるべくはない。では、ミッションごとに小技が効いているかというとそうでもない。原案の「スパイ大作戦」の愉しさを期待してはいけないと思う。

そして、ロシアからドバイ、そしてインドへと世界を股に駆ける舞台設定ながら、意外にスケール感に乏しいのが苦しい。ラストでの敵との闘いの舞台が立体駐車場では、なんだかさびしすぎるように思ったぞ。

そんな中で、俳優陣の演技は立派。特にジェレミー・レナーの存在感は一部トム・クルーズを食っていた印象。コメディリリーフのサイモン・ペッグは、悪くはないものの作品全体の雰囲気にはそぐわなかった。当方がもっとも注目したのは、女殺し屋を演ずる仏人女優レア・セドゥー。金髪の宮崎あおいという感じです。

肩の力を抜いて、突っ込みどころに目をつぶれば、愉しめる作品というのが結論。しばらくしたら、記憶から内容がすっぽりと抜け落ちてしまっているでしょう。


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輪島裕介:『創られた「日本の心」神話』(光文社) [ebook]

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

  • 作者: 輪島 裕介
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 新書

内容(「BOOK」データベースより)
「演歌は日本の心」と聞いて、疑問に思う人は少ないだろう。落語や歌舞伎同様、近代化以前から受け継がれてきたものと認識されているかもしれない。ところが、それがたかだか四〇年程度の歴史しかない、ごく新しいものだとしたら? 本書では、明治の自由民権運動の中で現われ、昭和初期に衰退した「演歌」―当時は「歌による演説」を意味していた―が、一九六〇年代後半に別な文脈で復興し、やがて「真正な日本の文化」とみなされるようになった過程と意味を、膨大な資料と具体例によって論じる。いったい誰が、どういう目的で、「演歌」を創ったのか。

新書なら三時間あれば読み切る、と思っている当方が、本書には四日間もかけてしまった。それぐらい、新書というパッケージにしてはめずらしい読み応えがある作品だ。

さて、梗概にあるように、本書のテーマは「演歌」とその享受史を中心にした大衆文化論といっていい。そもそも「演歌」とは、現在つかわれている用法とは異なり、自由民権運動と同時期に発生した「演説を題材にした歌」という(当方にとっては)意外なトリヴィアから語り始められる。

その後、演歌がいわゆる「日本の心」を象徴すようになった経緯をひもといていく。また、そこに至るまでの戦後の「レコード歌謡」の変遷が語られたうえで、それらに我々が漠然と抱いている印象を一変させるという離れ業を演じている。

実は、演歌の正体は何か、ということよりも、そのレコード歌謡変遷史のほうがおもしろく思えたのだった。一例を挙げれば、藤圭子のプロモーション方法が、後のアイドルのそれの原型になっているなどの指摘には驚かされる。

もっと驚いたのは、著者が当方より年下の1974年生まれであること。本書で語られる歌手やその曲などを、全盛期にリアルタイムに聴いているのではないだろうが、その時代における位置づけを丁寧に解説してくれる手腕は見事。

惜しむらくは、読みやすい文章にも関わらずワンセンテンスが長めの傾向があるので、ときどき主旨を見失ってしまうというところか。それにしてもね、著者の筆によるアイドルの享受史なんてものを読んでみたくなってしまう、それくらいスリリングな書物であることはまちがいない。今後のさらなる活躍に期待。


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小田嶋隆:『地雷を踏む勇気』(技術評論社) [book]

地雷を踏む勇気 ~人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

地雷を踏む勇気 ~人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

  • 作者: 小田嶋 隆
  • 出版社/メーカー: 技術評論社
  • 発売日: 2011/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

内容紹介
言論の地雷除去作業、ただいま続行中!

たかがコラムと侮るなかれ。わずか数千字の短い原稿のなかに、
危機的な状況下でしたたかに生きる知恵、タフであるための流儀がぎっしり詰め込まれているのだから。
東電も保安院も復興会議もネトウヨもナデ斬り! 3.11大震災以降「なにもそこまで!」の地雷を踏み続け、
大喝采を浴びたコラムニスト・小田嶋隆の、ポスト3.11を生きる金言コラム集。
日経ビジネスオンラインの超人気連載「ア・ピース・オブ・警句」が一冊に。
ただちに人生に影響を与えるものではありません!

著者の作品読み始めたのはデビュー作の『我が心はICにあらず』の文庫版からだから、すでに20年以上のつきあいだ。あるときから、ふっと著作が刊行されない時期があったのは、アルコール依存症のためだったのは、後日になって知ったこと。

さて周知のように、本書は日経BPオンラインに連載されている「ア・ピース・オブ・ア・警句」に所載のコラムを再編集し纏めたもの。当然のことながら当方は毎週チェックしているサイトであり、内容については既読のものばかりだ。

何度も書いているが、なぜタダで読めるものを、また紙の本で読むという行為をしてしまうのか不思議だ。著者のファンなら当方と同じことをしている人は多いに違いない。

閑話休題。確実にいえるのは、かつての著者の作品のような痛快さは減少しているということ。でも、それでいいじゃないか、とも思う。五十代半ばの人が、かつて二十代の青年と同様のテンションで書いていたら気持ちが悪い。

3.11以後の著者の思いが書かれているエッセイとも読める文章は、やはりと言うか、決して軽快なものではない。それでも、文章の手練れである著者の筆致には毎度のことながら唸らされる。過去の書作品もぜひ復刊してもらいたいものだ。


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