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平川克美:『移行期的混乱』(筑摩書房) [book]

移行期的混乱―経済成長神話の終わり

移行期的混乱―経済成長神話の終わり

  • 作者: 平川 克美
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2010/09/09
  • メディア: 単行本

無印良品の「次が出てくる付箋紙」を買ったのは、こうやってblogに感想文をしたためるようになり、印象に残った文章を忘れないでおくためだ。悲しいことに、読後の短期記憶は年々弱まっている。蛍光マーカーでラインを引っ張ってもかまわないのだが、意外に本に対する扱いは保守的なので、書き込みができないということもある。


内容(「BOOK」データベースより)
人口が減少し、超高齢化が進み、経済活動が停滞する社会で、未来に向けてどのようなビジョンが語れるか?『経済成長という病』で大きな反響を呼んだ著者が、網野善彦、吉本隆明、小関智弘、エマニュエル・トッドらを援用しつつ説く、歴史の転換点を生き抜く知見。

本書は、結果としてその付箋紙が至る所にひっつけられた。いい中年男が休日前の金曜日の夜中に、「いいこと言ってるなあ」と独り言を言わざるをえないくらいに。たとえば、まえがきにおける以下のような文章はどうだろう。


(前略)確かに企業社会の多くの問題はシステム上の問題として整理され、問題のあるシステムを速やかに変更することで現実的な解決を見ることができるのかもしれない。しかし、問題を起こしたとされるシステムや社員たちのモラルもそれらを解決しようとする思考パターンもその時代の社会が生み出した結果のひとつであり、その社会がうちに孕んでいった問題に加担してきたともいえる。
(13ページ)
 

ちょうど、並行して読み進めていた『 まだ科学で解けない13の謎 』で援用されているトマス・クーンの「パラダイム」という考え方を想起してしまった。結局、イノベーションが起きない限り、そのパラダイムから逃れえないのだろうか。もちろん、科学史の考え方を、自分がそのまっただ中にいる歴史に当てはめるのにはムリがあるのかもしれないが。そんなことを思っていると以下のような文章だ。


(前略)歴史というものは、そのただ中に存在しているものにとっては生きている現場そのものであり、時代のパーステクティブを概観するようにはできていない。舞台の上の演者が、同時に観客であることができないように、ひとは生きながら、同時に生きている自分を俯瞰することはできないのだ。
(20ページ)
 

なんというのかね、ツボにはまるというか、読んだらそう思いそうなことを先回りしてくれる文章が多い。何で読んだか忘れたが、読んでいておもしろい文章とは自分が言語化できていない思いを他者が文章として示してくれるものだ、という言葉があった。そう、本書は当方がぼんやりと思っていながら言語化されていなかった思考の断片を文章にして指し示してくれるのだ。

まだまだ引用したい文章はあるのだが、著者の強い主張の顕れている文章を、ネタバレではあるが引用しておこう(裏表紙にも書いてあるから、まあいいか)。


問題なのは成長戦略がないことではない。成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ。
(141ページ)
 

はたと膝を打つくらい、心から同意できるのだよ。成長しなくてもやっていけるだけの戦略。それが当方のいまいちばん欲しいものかもしれない。

現在、下半期ではもっともお薦めの一冊。特に当方と同世代にはキくと思う。なお蛇足ながら、本書は昭和という時代の息づかいをノスタルジックに記述したエッセイとも読めるので、そのあたりも愉しんでほしい。


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