増田町に行ってきた [travel]
8月に太平湖に行った際、道の駅で「蔵の日」なるポスターを発見。なんのこっちゃとみてみると、増田町という町で年に一回、蔵が公開されるとの由。これは行かねばなるまいと楽しみにしていたのだった。
■最寄り駅は十文字駅。ここからバスで10分ほどかかる。所在地は増田町増田字七日町 | |
■共通見学証は500円で購入 |
そもそも増田町は、岩手県と秋田県を結ぶ交通の要衝だったらしい。また、養蚕や葉たばこの生産・販売で賑わい、大正時代には吉乃鉱山の最盛期で隆盛を誇ったとのこと。ところが、明治末期の交通体系の変化や吉乃鉱山の採掘量の減少、そして戦後の農地解放の影響などで停滞期に入ったという。
その中心商店街となる通り長さおよそ400メートルの「中町・七日町通り」に並ぶ主屋の大半は「妻入(長方形の建物の短辺に入り口がある造り。長辺のそれは平入という)」で、その主屋の中央部もしくは最後方に位置する文庫蔵・座敷蔵などを総称して「内蔵」というらしい。よーするに、建物の中に蔵があるってこと。建物版マトリョーシカである。あるいは、でかいロフトかね。
■最初に入ったのは「高橋茶舗」。本来は外だけの公開だが、特別に中に入らせてもらえた。ありがとうございます | |
■その隣の堀田家の座敷蔵。 | |
■外観はこんなだったりするから驚きだ | |
■福嶋サイサイ囃子が練り歩いていた |
話には聞いていたが、ここは北都銀行創業の地でもある。
| ■1895年(明治28年)5月、株式会社増田銀行として創業 |
さらに通りを進んでいく。
■佐藤十三郎家の座敷蔵は当地でも最大規模のもの | |
■なるほど、当方の仮住まいより広い…orz | |
■そして、かっこいい | |
■石田喜兵衛家は外観が素晴らしい | |
■佐藤多三郎家は、昭和後期まで医院を開業していたとのこと | |
■非常に立派であった | |
■同じく佐藤多三郎家 | |
どんどん進んでいく。
うーむ。単焦点中望遠のレンズの一眼レフしか持って行かなかったから、蔵の全景を撮るに至らなかった。GRD3であればもっと引いて撮影できたのに。アホである。
閑話休題。とにかく時が経つのを忘れて見学してしまった。今回は20棟ということでこれは史上最多とのこと。みなさんも是非、といいたいが、来年の今頃まで待たなければいけないのが残念。興味のある方は、通年でも公開している蔵があるらしいから確認してほしい。