石持浅海:『攪乱者』(実業之日本社) [book]
連作短編集と連作長編という用語は、よく聞く言葉だし弊ブログでも何気なく使っているのだが、どのように違うのだろうか。定量的な面として、googleで二つの言葉を検索したら、前者は330千ヒット、後者は137千ヒットということで、もしかしたら連作長編という言葉は連作短編集の誤用かもと思わせる。
当方の感覚的な使い方を申し述べておくと、連作短編集は「登場人物や時代が異なっても、世界観を同じくし、独立した短編として読める作品で構成されているもの」くらいの感覚で用いている。
一方、連作長編は「独立した短編として読める作品で構成されていているが、全体としてはひとつの物語になっていて通作で結末が存在するもの」という感じだ。具体的には、前者は伊坂幸太郎の『 終末のフール 』、後者が『 密室殺人ゲーム王手飛車取り 』というイメージだ。
内容(「BOOK」データベースより)
コードネーム『久米』『輪島』『宮古』のテロリスト三人。彼らは一般人の仮面をかぶりながら、政府転覆をめざすテロ組織の一員である。組織は、暴力や流血によらない方法で現政府への不信感を国民に抱かせようとしていた。彼らに下された任務は、組織が用意したレモン三個をスーパーのレモン売り場に置いてくるなど、一見奇妙なものであった。任務の真の目的とは何か。優秀な三人の遂行ぶりが引き起こす思わぬ結果とは。テロ組織の正体は。そして彼らの運命を翻弄していく第四の人物の正体は―。
ミステリにおける「日常の謎の解明」というテーマを解き放ったのは、北村薫の『 空飛ぶ馬 』からだと当方は考えている。いや、それ以前にも海外にはアシモフの『 黒後家蜘蛛の会 』のシリーズがあったか。でも、日本におけるそれとはちょっと肌合いが違うという印象を感じる。
本書は、政府転覆を目論むテロ組織の細胞の一つに与えられるミッションの奇抜さが、その「日常的な謎」を想起させるところに新味がある。そもそも、無血・非暴力のテロ組織という存在自体に不条理感があるし、その脱力的な指令に真面目に取り組むメンバーにもオフビートな雰囲気がある。
与えられるミッション自体もインポッシブルなものではなく、「いかにして」という興味よりむしろ「なぜ」ということに焦点が定められている。だから、この調子で続く連作短編集という構成でいくのかと思えばさにあらず。
TURNⅠ~Ⅲのなかに三篇ずつが配置されているが、中盤以降はミッションより、登場人物たちが徐々にそのバランスを崩していく様子をサスペンスフルに描くことが中心になる。だから、冒頭に申し上げたような定義で言えば連作長編ということになるだろう。
第一話の「檸檬」は2004年に雑誌掲載されたもので、最終話が2010年。おそらく「檸檬」はシリーズ化を意識しないで書かれたものなんだろうが、纏まると結果として一冊の長編として構成されるのが不思議な感じだ。終盤では石持作品らしい酷薄ぶりも横溢しておりファンにはお奨め。
◎関連エントリ
・石持浅海:『賢者の贈り物』(PHP研究所)
・石持浅海:『扉は閉ざされたまま』(祥伝社)
・石持浅海:『水の迷宮』(光文社)
・石持浅海:『R のつく月には気をつけよう』(祥伝社)
・石持浅海:『君の望む死に方』(祥伝社)
・石持浅海:『耳をふさいで夜を走る』(徳間書店)
・石持浅海:『ガーディアン』(光文社)
・石持浅海:『温かな手』(東京創元社)
・石持浅海:『まっすぐ進め』(講談社)
・石持浅海:『BG、あるいは死せるカイニス』(東京創元社)
・石持浅海:『君がいなくても平気』(光文社)
・石持浅海:『月の扉』(光文社)
・石持浅海:『心臓と左手』(光文社)
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