柳広司:『ダブル・ジョーカー』(角川書店) [book]
いわゆる秀才とか天才とか言われる人たちについて、その特徴のひとつとしてよく挙げられるのが記憶力の良さだ。たとえば、それほど勉強しているように見えないのに試験の成績がいい人がいたが、その人は教科書を一回読んだだけで大体が頭の中に入ってくる、という言い方をしていた。もちろん、記憶したうえで理解力や応用力にも秀でていたんだろうけれど。
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内容(「BOOK」データベースより)
結城中佐率いる“D機関”の暗躍の陰で、もう一つの秘密諜報組織“風機関”が設立された。だが、同じカードは二枚も要らない。どちらかがスペアだ。D機関の追い落としを謀る風機関に対して、結城中佐が放った驚愕の一手とは―。表題作「ダブル・ジョーカー」ほか、“魔術師”のコードネームで伝説となったスパイ時代の結城を描く「柩」など、5編を収録。吉川英治文学新人賞&日本推理作家協会賞W受賞の超話題作『ジョーカー・ゲーム』シリーズ第2弾、早くも登場。
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D機関の構成員たちはとんでもない記憶力や判断力を有した超人たち。でも、本書の構成上、その活躍が派手派手しく描かれるわけではなく、あくまで陰の存在としての役回りだ。最もはでに描かれるのは機関の首魁の結城中佐かもしれない。
さて、本書のような話題作については当方ごときが感想を申し述べるまでもなく、前作を読んでいたり興味のある人はすでに手に取っているに違いない。したがって、雑感を申し述べておく。というか、このblogが雑感にほかならないのだが、まあいいか。
当方の考えるスパイ小説というカテゴリには二つの要素が必要だと思っている。一つは迷宮感覚とでも言うべきもの。二重スパイならぬ三重スパイ、裏切りと騙しあい、類い希なる人智を尽くした闘いであれば当方のような一般人が読んでいて分かるような単純な図式はあり得ないと思う。
だから、良いスパイ小説というのは結局のところわけの分からない小説になる傾向にあると思う。その極北がチェスタトンの『 木曜の男 』だったりする。その他、レン・デイトンの諸作など、わけの分からない迷宮のような結構が必要だと思っている。
もう一つ、欠くべからざるものに諧謔とか滑稽さがあると思う。ユーモア、ってやつですね。たとえば、ジョン・ル・カレの小説はその重厚感やシリアスさにもかかわらずそこはかとないユーモアが漂っていると思う。ようするに、スパイなんて滑稽以外の何ものでもないという諦念だ。
で、何が言いたいかというと、本シリーズにはそれらの要素が欠けている、あるいは少ないと思えるのだ。だから、優れたサスペンス・ミステリということはできても、スパイ小説とは思えない、というのが正直なところ。
んー、なんか文句のようになっている。おもしろいのはまちがいなく安心して奨められる。ただ、当方にとってはそのように読める、ということを言いたかっただけなのである。
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